2007-09

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苦しい塊。

初七日、二七日、三七日・・・と順繰りに日々は過ぎていき、アタシも、母の日常も、ずいぶん落ち着きを取り戻している。

月初めに、葬儀のため1週間も休んだせいで、月末の申告が厳しくなってきて、この三連休は公休出勤と残業で明け暮れた。
そういえば、1週前の三連休も公休出勤したのだっけ。


いつも気にかけてもらってありがとう!
yellは元気です。
でも・・・



日々は確実に過ぎていき、父が逝った悲しみも、いくらか薄らいできたけれど、反対にどんどん大きくなっていく胸の塊がある。

父が逝ったとき、父を車椅子に乗せてアタシが押していたということは、前にも書いたと思う。
実は、それについてはいろいろと考えるところがあり、その胸のもやもやとしたものは、だんだん硬い塊となって、アタシの心を押しつぶしていたのだった。

父の亡くなる一週間ほど前のことだったか、高熱を出した後から、父の生活は昼夜逆転したものになっていた。
アタシたちが傍に付いている昼間は、足のマッサージをしているからか、父もよく寝ていた。
父が昼間寝てしまうせいか、夜がいけなかった。
目が冴えてしまうのだ。

目が冴えているから、苦しさも2倍。
胸が苦しければ吸引してほしくて、ナースコールを押す。
あまり動けないので、寝返りを打ちたければ、ナースコールを押す。
食事も摂れず鼻からチューブを入れて直接胃に栄養補給をしていたので、口があんぐりと開いたまんま。喉が渇くから、唇をしめらせてほしいと、ナースコールを押す。

それが頻繁だと言って、看護師から毎日のように叱られていた。
父も叱られるけど、アタシたち家族にも、昼間は寝させないでくださいと、きつい言い方で叱られた。

確かに、患者は父だけじゃない。
もっと具合の悪い人もいるだろうし、頻繁にナースコールされて、本当に迷惑だったのだろう。

父の亡くなる日、その日は、きつい言い方が気になる看護師の当番の日だった。
手馴れた看護をする看護師だったが、患者に対する接し方は、優しいとは言えない。
その看護婦が言ったのだ。
「昼間に寝てしまうから、車椅子で散歩させてください」と。

アタシは単純に考えた。
天井ばかり見ている父が可哀想。
車椅子に乗れるのならば、たとえ病棟の中だけだったとしても、景色も眺められるし、何よりエアコンの風以外の自然な空気の中で散歩したら、父の天井を見ているようでどこか幽体離脱しているような表情が、少しは和むかもしれない。

肺の痰を吸引し、オムツを取り替えてもらってサッパリし、いつもはストレッチャーでしか動けなかったその身体を、看護師二人がかりで車椅子に乗せてもらった。

「どれくらい散歩したらいいですか?」
アタシの問いに、看護師が答えた。
「2,30分、病院の中を歩いてきてください」

さぁ、お父さん、久し振りのお外だよ。(と言っても、病院の中だけどね)

3階の病室からエレベータで1階の外来まで降りていって、ゆっくりゆっくり父に話しかけながら歩いた。
「おじいちゃん、壁に看護師さんたちが描いた絵手紙があるね」
「ほら、外の景色が見えるよ。今日はちょっと風があるから外には出られないね」
「お休みの日の外来は静かだね」

どの言葉にも、父はうつむいた顔をほんの少し動かして、「うん」というように頷くだけだった。

外来を一回りし、二回り目に壁に油絵が何枚かかかっている廊下で、
「おじいちゃん、また絵があったよ」とアタシが話しかけた。

返事は、ない。

車椅子の前に回って、
「どうした?」と覗き込むと、父は先ほどまでと同じ体勢、同じ表情で黙っている。

唇に、散歩する前に栄養チューブで点滴していたらしい液の色をした、涎のようなものが少し。

「あれ?」とは思ったけど、肩にかけておいたタオルでそっと拭いて、また後ろに回り、車椅子を押した。

2,3歩歩いたところで、何か変!と胸騒ぎが。

もう一度、車椅子の前に戻り、父を覗くと、今度は鼻からもその液体がほんの少し滴っていた。

急いで、エレベータに乗り、3階のナースセンターに向かう。
3階に着いたところで、看護師の一人が声をかけてきた。
「あら、お散歩?いいですね」

気が急くアタシは
「なんか、変なんです!父が変です!」

父の顔を覗き込んだその看護師は、あわててナーセンターに車椅子を押しながら走った。
それからは、何がなんだかわからない世界・・・

ナースセンターにいた沢山の看護師が、空き部屋に父を入れて、バタバタと走り回り・・・
その間、アタシには何の説明もなく・・・

父が入れられた部屋の前で、アタシは成す術もなく、ただ立ちすくんでいた。


部屋から看護師が出てきて、
「ご家族がいらっしゃるのに、何分くらいかかりますか?」と訊かれたときには、
「ああ、もうダメなんだ・・・」
やっぱり・・・という気持ちしかなかった。

それから母や兄やかんちゃんに連絡し、みんなが着いたときには、父の心臓は止まっていた。
あとから聞いた話では、アタシが慌てて連れてきたときには、呼吸は止まっていたものの、心臓はまだかすかに動いていたらしい。
ただ、アタシたち家族としては、人工呼吸器を着けたり、電気ショックや心臓マッサージなどをして、辛い時間を長引かせることは選んでいなかったので、結局あのまま逝ってしまったのだ。


アタシがこだわっているのは、この父の亡くなり方じゃない。
アタシが看護師に促されて、家族に電話連絡をしにも元居た病室で電話をかけようとしていたとき、あの「車椅子散歩」を勧めた看護師が来て、
「ごめんなさいね、散歩をさせてくださいなんて勧めて・・・」
と言ったのだ。
その時は、反対に、暗いベッドの上でなくて良かった、って素直に思っていたから、
「いいえ。返って良かったんです。景色を眺めて、風を感じて、父もそうして逝ったのだから、良かったんです」
って答えたんだ、アタシ。

そうしたら、その看護婦が更に言った。
「責任・・・感じないでくださいね」

・・・!?
どういうこと???

アタシに何か責任ってあるの?




その時の看護師とのやり取りが、アタシには胸のつかえとなって残ってしまった。
それは、時間がたてば経つほど・・・

どういう意味で、その看護師がアタシにその言葉を言ったのかはわからない。

それとも・・・
担当医の先生は、ストレッチャーでしか動けない父が、車椅子に乗っても大丈夫だと、許可していたのだろうか。
何本ものいろんなチューブをつけて寝ているだけの患者が、車椅子に乗って、こういう急変があるということを看護師は気がつかなかったんだろうか。

看護のプロでないアタシにはわからない。
また、アタシたち家族は、このことを確認するつもりもない。
ただ、看護のプロが勧めたことにしたがって、散歩をさせたら急変してしまった事実は・・・少なくともアタシが責任を感じることではないと思う。

しかし、苦しい。
アタシの胸に、もやもやした塊がどんどん硬く大きくなって、アタシを苦しめる。

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信じられないけど、たぶん本当。

9月1日に父が逝ってから、早一週間。
今日は初七日。

通夜、告別式は9/4、5日でつつがなく終わり、400人もの参列者を数え、父がどんなに皆さんから愛されていたか、娘のアタシも初めて知った。
地元のみならず、仙台市や半田市の博物館からも、わざわざ足を運んでいただき、思いがけず賑やかな葬儀となった。
父は地元の有形文化財、人形カラクリの作者で、晩年近くには仙台の博物館や、東京でカラクリ人形の展示会や講演会に出させていただいていた。

父は逝ってしまったけれど、父の生み出したカラクリ人形は、半田市や仙台市や東京、そして地元の郷土博物館や駅前のシビックセンターで生き続けていくのだ。




**********


父が亡くなった次の日、近所の方が次々と弔問に来てくださったけれど、夕方近くにみえた隣家のおばさんから、妙な話をされた。

「お父さん、ずいぶん急だったのねぇ。
2、3日前には、yellさん家のサンデッキから、お孫さんに話しかけていらっしゃったのに。」

「え?父は1ヶ月以上前から入院して、歩けない状態だったんですけど・・・」

「あら、でも・・・あれはお父さんだったわよ。サンデッキからお家の中のお孫さんに、名前を呼びかけているの見ましたもの。」

不思議な話もあるものだ。
でも、アタシは思う。
亡くなる1週間ほど前から、父は昼夜逆転した生活を送り、夜は目が冴えて眠れず、昼間どんなに起こしても眠ってしまっていた。
その昼間に、たまに目が覚めているとき、父の目は天井を向いていたが、天井を見ている目ではなかった。
もっと遠く、どこか別のところを彷徨っているように、眼球がまぶたの上のほうに上がってしまい、また元に戻るの繰り返しだった。

アタシたちが付き添っている間は、「足が疲れたから揉んでくれ」と、いつも足の裏から太ももまで、ずーっと揉ませたものだった。
寝ているだけなのに、どうしてそんなに足が疲れるのだろうと、アタシは義姉と不思議だね、って話していたんだ。

あの、目が天井あたりを見ていたとき、父は行きたいところに実は行っていたんじゃないか、って思う。
歩いて歩いて、歩きつかれて、アタシたちに足を揉んで、って言っていたんだなぁ。

そして、告別式の始まる前に、会場でご近所のおばあさんに呼び止められた。
お悔やみを言われて、「突然でしたね」と話始めたおばあさんから聞いた話というのは、やはり父が入院中のお盆の話だった。

そのおばあさんは、8/16のお盆のお帰りの日、自宅の庭に立っていたら、父が散歩しているのに会ったという。
その歩いてくる姿が、父の父、アタシの亡くなったおじいさんに、あまりにも似ていたから、
「亡くなったお父さんに、ずいぶん似てるわねー」と話しかけたら
「だって、親子だもの」
と、応えたという。

確かに、おばあさんの家は、いつも父が散歩していたコースにある。

おばあさんに、お盆って、新盆の7月じゃないか、と確かめたが、
「あたしゃ、まだボケてないよ~。本当に8月16日だよ~」と真剣に否定する。

こりゃ・・・やっぱり・・・


父はどうやら、亡くなる前に、実際には歩けないけど、生霊が普段どおりに、姫や王子を窓から呼んだり、いつもの散歩コースを歩いていたらしいね。
そんなに、また帰ってきたかったんだ。

それを思うたび、涸れたと思った涙が、また溢れてくる。

願わくば、49日まではここにいてもいいけどね、その後は成仏して、あの空からアタシたちを見守っていてね。
いつまでも、ココロを残しちゃだめだよ、お父さん。

ちなみに、不思議な話を、もうひとつ。

Read More »

お父さん ありがとう

2007年9月1日16時 父がお星さまになりました。


この1ヶ月間、お父さんはとっても頑張ったね。
完治するはずのない治療をさせているのは、とても辛かったけれど、お父さんはきっと治ると信じて、頑張って頑張って放射線治療をしていたんだね。
昨日、苦しい息の中、「こんなに頑張っているのに、どうしてこの苦しいのがそのままなんだ」って先生に訊いてくれと看護師さんに伝えたよね。
もしかして、その答えを知っていたの?

1ヶ月しか看病していないのに、まるであたしたちが、看病疲れや、これからの不安を抱えてるってことわかってるみたいに、突然逝ってしまうなんて。

今日、昼夜逆転して、昼間眠ってしまうお父さんを見かねて、看護師さんが車椅子に乗って散歩するように言ったよね。
初めはイヤイヤしていたのに、どうして行ってみようなんて心変わりしたの?
いつもストレッチャーで移動するのに、無理して車椅子に乗って散歩なんてしたから、お父さんが早く逝ってしまったような気がしてならないよ。

アタシの話に初めは頷いたりしてたのに、気がついたらさっきまでと同じ体勢で表情が固まってた。
びっくりしたよ・・・
もうそのときには、呼吸が止まっていたんだね。

お空を見上げられて、よかったよ。
風を感じられて、よかったよ。
アタシの押す車椅子で、散歩できてよかったよ。
最期に、最期に、お父さんと一緒でよかったよ。

さようなら、お父さん。
いっぱいいっぱい愛してくれて、ありがとう。

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