2009-11

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新たな希望を。

兄の最近ずっと出ていた熱が、かなり安定してきました。
高いときには39度まで出ていた熱でしたが、何の熱か主治医の先生に訊くと、「たぶん患部熱では」という答えでした。
今は37度~38度くらいで、高熱までにはいかず、体もだいぶ楽になったみたいです。

具合が悪いときには、横になったまま話しをするのも辛そうなので、あまり病室に長居もできませんでしたが、このところ体が安定したことと、仙台まで行っても免疫療法が受けられなかったことが、返って12月の胃の全摘手術に前向きになったのか、割合元気に過ごしているようです。(わたしが勝手に思っているだけなのかもしれないけど)

そんな今日の夕方、母が昨日の新聞で見たという、やはり免疫療法の大きな広告をわたしに見せて、資料をとってくれと言います。
早速ネットで検索してみると、先日も主治医の先生が話していたらしい水戸の病院が協力医となっているクリニックのグループ広告でした。

そこは距離的にも断然近い上、ホムペで読む限り、今かかっている病院と連携して免疫療法をしていただけると書いてあります。
しかもかなり進んだ症状でも引き受けてくれるとのこと。
これにはひどく心惹かれます。
すぐに資料の請求メールを送りました。

たとえ胃の全摘をしたとしても、その後の抗がん剤治療を考えると、少しでも副作用を抑えたり、進行を遅らせ、予後を穏やかに暮らさせてあげたい。
そんなささやかな願い。

この新たな希望と願いが、少しでも神様に届きますように。
お兄ちゃん、もう少し頑張ろうね。
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でも負けない。

先週の11/20の金曜日、兄は旦那の車で仙台の『きぼうの杜』へ行ってきました。
『きぼうの杜』で治療ができるかどうかはわかりませんが、せめて話だけでも、と不自由な体で高速片道3時間半を行ってきました。

絶食中でずっと点滴中の兄が、どうやって仙台までの往復が可能だったかというと…
結局、義姉とわたしは主治医の先生に、免疫療法の治療を受けてみたいと相談したのでした。

主治医の先生のは初め、保険がきかない免疫療法を民間療法の一種だとか、そのような人体実験のような治療を受けるべきではない、とかおっしゃっていましたが、セカンドオピニオンのつもりで…と話を進めたせいか、「そのような治療を並行して受けていらっしゃる患者さんも何人かいらっしゃいますよ。」と軟化してきました。

また、検査結果の写真などの資料をいただきたいと話すと、セカンドオピニオンで持っていくなら、紹介状も用意しますと、どんどん好意的に。
最終的には、「何人かいらっしゃる」はずだったその療法も、「結構いらっしゃいますよ」に言いっぷしが変わっていました。笑

「民間療法」と一刀両断だった考えも、「きぼうの杜」のパンフを見せたせいか、話が終わった後の病室にわざわざ出向いて来、「ふつうの病院なのですね」などと今更のことを…

仙台に出かける前の日も診察が終わった後に、「水戸の近くでもそのような病院があって、いらっしゃっている患者さんもいるようですよ」と兄に教えてくださったらしいです。

もちろん仙台より県内の、しかも1時間ほどで行ける病院だったら嬉しいけれど、もうすでに仙台のクリニックには予約もしてあったので、主治医の先生に点滴をはずしていただいて、解熱剤の処方もしていただき、仙台行きが実現したのでした。

ですが…あまり良い結果にはなりませんでした。
まず、すでに患部からの出血のため、食事を摂っていないこと。
ステージⅣで、胃の全摘しても肝臓やリンパに転移しているので、抗がん剤の投与をするということは免疫力が格段に下がるので、免疫療法ができないわけではないけれど効果が期待できないこと。

そういうことで、今回は無理に治療をしても効果が期待できないのでは、治療をする意味がないので、治療を見送ることになりました。

せっかくわざわざ仙台まで出かけて行きましたが、『きぼうの杜は』兄にとって「希望」にはならなかったのです。

また溜息…です。

11/15

昨日は仕事が溜まっていて、休日出勤しました。
兄のことで主治医の先生から話を聞いたり、娘の吹奏楽のコンクールなどで、いろいろ出入りばかりして職場には迷惑をかけてばかり。
そろそろ仕事もそう待っていてはくれませんから。

夕方に病院から帰宅したばかりの母から、今日の兄は高熱のため機嫌も悪く、あまり長くは病室にいられなかったと聞き、前々からネット検索で見つけて気になっていた『免疫療法』を言い出してみました。
『免疫療法』は数多の種類があるようですが、実際に末期癌を克服したというブログを覗いて、関連リンクに飛び「これなら」と、印刷したものを母にみせたわけです。

素人考えですが、進行癌でステージⅣで手術の範疇にないものを、いまさら原発の胃を切るとはどういうものかと、納得できずにいるわたしがいます。
ならば切らずに延命できたほうが、副作用もなく本人も楽なのではないかと思ったのです。

すると、懇意にしている薬局にその『免疫療法』で紹介されている薬(といっても漢方薬なので西洋の薬とは違います)について相談してみようかという話になりました。
いくらなんでもネットで紹介されているだけでは、そのまま取り寄せて兄に飲ませることもできないので、薬剤師の先生に訊いてみようという事です。

そのとき、まだ夕方も6:30。
今ならもしかして時間的にも余裕があるのでは、と早速電話してみました。
すると、すぐいらっしゃいとのこと。
母と二人で急いで薬局に出向きました。

今までのことをすべて話し終えたときに、わたしが『免疫療法』の薬についての印刷物を見せると、
「それもいいけど、弱いな。もっと強くて効く薬があるよ」
とこともなげにいうではありませんか。

母と顔を見合わせてびっくりしていると
「天然樹木茶タヒボNFD」という漢方薬。と言ってもお茶なのですが。
これは免疫を上げるのにすばらしい効き目があるということで、今すぐにでも飲ませなさい、と言われました。
そして、「絶対に切っちゃだめ」とも…
原発である胃を手術でとってしまうと、今まで胃を攻撃していた癌細胞が、今度は転移したリンパ節や肝臓を攻撃し始め、もっと酷い状態に陥るということでした。

だったらどうすれば…???

薬剤師の先生が教えてくれたのは
仙台にある『きぼうの杜クリニック』という病院でした。
そこは副作用の少ない免疫細胞療法「BAK療法」をするがん専門の病院です。
渡された小冊子や案内を見て、「これだ!」と思いました。

そこには2週間に1度出向いて、採血した自分の血液から培養・活性化させた100億個のリンパ球を点滴静注(200ml)により本人の体に戻す免疫治療による療法らしいのです。
入院もいらない、ということが何よりの魅力です。

でも、ひとつだけ、難しいことがありました。
兄は患部からのの出血があるので、絶食して止血剤の投与により、やっと小康状態を保っているので、仙台まで出向くのが大変難しいのです。
どうやって仙台まで連れて行くか、それがクリアにならなければ、『きぼうの杜クリニック』への受診はかなわないのです。

やっと見つかった希望の糸。
またも壁にぶつかってしまいました。

11/12

夕べはそれからネット検索を駆使して、胃癌の名医といわれるお医者様を探すのに躍起になっていました。

患部から出血し続けている兄を、いきなり別の病院に連れて行くには無理があります。
せめて、義姉にセカンドオピニオンを受けてはどうかと提案し、相談に乗ってもらえる病院を探しました。

結果、癌研究所有明病院が一番いいのかな、という結論に。
電話予約でセカンドオピニオンを本人じゃなくても受けられるということに、ほんの少しですが、元気をもらったような気がします。

今朝は出勤前に義姉の元を訪れ、印刷した癌研の資料を渡しました。
義姉も夕べよりは少し元気が出たようで、でも目は腫れていたかな。


ところが、夕方になって、話が一変。
義姉と母が、兄の病院に行ったところ、
「胃の全摘の手術を受けたほうが、食事も出来るようになるし、仕事にも行けるって言われた」
って兄が…

夕べの話と全然違うんですけど。
それとも兄にはうまいこと言ったわけでしょうか?

患者ばかりでなく、わたしたち家族の気持ちまでも、上げたり下げたり。
とても心臓に悪いです。
主治医の先生が言うことは、本当なのかいい加減なのか、
毎日言うことが違うから、信用できなくなります。
せめて義姉に、夜の電話はやめてください。
義姉が倒れてしまいます。゚(●ノω'o)゚。

11/11

最低最悪の日。

子どもたちに夕飯を出してから、面会終了時刻30分前にやっと着いた病院でした。
兄が案外すっきりした顔をしていたので、気分がいいのかと思ったら、思いがけない言葉。

「おまえはお母さんの実家の遺伝子が強いんだよな。」
「ん?なんで?」
「いや…俺はお父さんの遺伝子が強いんだと思って。」
「…」
「ほら、俺はこんな病気になっちゃって、お父さんもおじいちゃんも同じ病気だったし。」
「それならあたしだって。」
「でも、おまえの時とは違うじゃん。」

兄は、私が15年ほど前に完治した『子宮頸がん』のことを言っているのでした。
確かにわたしの場合は、早期発見、癌の赤ちゃんで、がんにまではなりきれていない異形成の部分を手術で取り完治しました。
それでも十分に癌の家系なんだな、と思っていたのに。

兄は、自分の病気をすべて知っているんだな、と思いました。

それから二人で、義姉や娘たちのこと、母のこと、いろいろ話しました。
兄の心残りはたくさんあるけれど、やはり義姉のことになると心配は尽きないようで、自分がいなくなった後(こんなふうに口には出さないけれど)一人になってしまったときの義姉を気にかけているようでした。

それでも冗談を言って笑いあったり、今は食べられないけど(胃からの出血で食事ができません)、美味しいものの話をしたり、30分とはいえ楽しい時間でした。

少ししんみりした兄の話しっぷりを気にしてはいたのですが、病院から帰宅して、兄から渡すように頼まれた書類を義姉に渡しに行った時、そんな兄の雰囲気がどうしてだったのかわかったのです。

病院の主治医の先生からの電話が、わたしが帰宅する直前に義姉にあったようで、
「胃からの出血が止まらないので、抗がん剤の治療はできません。
少しでも長く生きられるように、胃を全摘することを外科の先生を交えて、金曜日に相談したいと思います。
でも、全摘すると、もう食事をすることはできませんし、肝臓がもう半分使えないのですから、肝不全になるという副作用も出ると思います。
そうなると、もう家には帰れないし、ずっと入院ということになります。」
こんな話をされたようなのでした。

義姉はショックで涙も出ない様子。
わたしもその話を聞いて、愕然としました。

初めは、化学療法で予後が長くなるって言ったじゃない。
そのときだって、胃からの出血は止まってなかった。
外科的な手術はできないとも言ってた。
胃からの出血があるのにもかかわらず、普通食を兄に与えて、
食事に制限はないと言ったのは誰ですか。
土日のたびに外泊を勧められて、家でも普通食を摂っていた。
胃の出血が止まらないなら、素人考えだけど、普通食を摂って胃が動いたら、出血が止まらないのは当たり前じゃないのか。
あの主治医の先生に言いたいことは山ほどある。

どうしたら兄を助けられるの?
教えてください。

11/9

先週からTS-1の服用を開始した兄でした。
TS-1を服用し始めて8日目から、点滴で抗がん剤を入れ始めるはずでしたが、胃の患部からの出血が止まらず、内服薬さえ摂ることが出来なくなりました。

これで抗がん剤治療も延期になったようです。
なんとか体力があるうちに治療を始められればと願っていたのですが、食事もとれなくなってしまって、本人も歯痒いのでしょう。

昨日は『(抗がん剤で髪が抜ける前に)写真をとっておかなかったなぁ』なんて冗談まじりに言っていたらしいです。

でも義姉にしてみれば、急に家の権利証や年金手帳を渡されながらだったので、違うふうに受けとってしまったと。

夕べも眠れませんでした。

きみの未来。

職場からの帰り、兄を見舞ったときに、兄は発熱して寝入っていました。
久しぶりに見た邪気のない寝顔が、54歳の歳相応のすまし顔から、子どものときからの見慣れた兄の顔に戻っていて、何とも言えない懐かしい気持ちになりました。

兄のために持っていった文庫本がたくさん入った紙袋をそっと置くと、ベッドテーブルに主治医の先生が書かれた、病気と治療方針の説明の文書が乗っていました。
目に付いたあたりを何気なく見ると、やはりあの宣告の日、先生が仰ったとおりの病名と治療方針の説明がありました。

夕食のお湯を持ってきてくれた配膳の方の声で、兄が目を覚まし、わたしの顔を見てちょっと笑いました。
力はないけれど、懐かしい笑顔。

「そこに病気のことが書いてあるから読んでおいて。」
「うん、今、目に付いたから読んでおいた。」
「そっか。」
「うん。」
「…ねぇ、痛くなかったの?」
「…ん…痛いってほどの痛みじゃないから、気が付かなかったんだよなぁ」
「そっかぁ。だよねぇ…」

そんな主語を抜かした会話をして、わたしたちは黙ってしまいました。
わたしってば、心の中では、「間抜けだよ、お兄ちゃん」と思いながら…

帰宅してから母に聞いた話では、兄が主治医の先生に言ったらしいです。
「あとどれくらい生きられますか?やりたいことがあるんです」
先生も困って義姉に電話をかけてきたって…「なんて言いましょう?」ってね。

だよね…先生も困るよね。
化学療法が効かなければ、半年から9ヶ月、でも化学療法が体に合えば、あと何年かは普通の生活ができますって。
でもその何年かは、先生にだってわからないよ、お兄ちゃん。

やりたいことって何?

なんか、すごく切ない夜です。

告知。

兄は10月27日、体調不良のため地元の総合病院を受診した結果、進行性の癌だと診断されました。
しかも胃癌からの多発肝転移があり、詳しい生検結果は出ていませんが、このままでいくと、余命は6~9ヶ月と…。

昨日の11/2は担当医からのお話があり、義姉、母とわたし、わたしの夫の4人がお話を聞きました。
レントゲンやCTを見ると、肝臓にはかなりの広範囲に広がった癌があり、大元の胃は壁が分厚くなって萎縮し、どうして今までわからなかったの?と思うような酷さでした。

ステージは4。
あまりにも患部が広いため、手術はできません。

やっぱり…

義姉が先生からお話したいと電話があったとき、『手術は出来ません。』と言われたことが前提としてあったので、やはり『やっぱり…』という気持ちになりました。

ただ一縷の希としてあるのが、
『根治は出来ないが、胃癌には化学的治療がよく効くので、人によって程度は違いますが、普通の生活を何年か(それもどれくらいかは明言できないけれど)することは可能です。』
ということでした。

もちろん、化学療法が効けば、の話です。

兄には就職して神奈川にいる長女と、来春大学受験を控えている次女がいます。
だからとても娘たちには、父親の病気のことは言えないと義姉が言います。

大学受験を控えた次女にはもちろん、来年2月に論文発表を控えた長女は、ストレスのため現在心療内科に通っていて、彼女にも本当のことは言えるわけがないと義姉は悩むのです。

それでも普通なら忙しくて帰省できない長女が、この文化の日の祝日と有休を利用して帰省できたのも、何か感じるものがあったのかもしれません。

すぐその後の兄本人への告知は、余命を宣告せずに、でも本当のことを話すことになりました。
主治医の先生も、今の兄の全身状態が良いので化学療法で延命できるというように話してくださったようです。
この時、わたしとわたしの夫は、兄に大ごとと思われたくないので、その場からは退席し、その日は病院に行ってないように装いましたが…
兄は落ち着いて告知を受け入れたようです。

そのときの話をあとから母から聞きました。
兄は先生に、「仕事はできるのでしょうか」と訊いたそうです。
先生は、「化学療法が体に合えば、というか、これは胃癌にとてもよく効くので、お薬を飲みながら仕事には行けますよ。」と言ってくださいました。
「そうですか、良かった。」

兄はどのように受け止めたのでしょう。
言葉どおりに受け取ればいいのでしょうが…わたしにはわかりません。

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